大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

京都地方裁判所 昭和33年(わ)1097号 判決 1968年2月22日

主文

被告人らはいずれも無罪。

理由

(公訴事実並びに検察官の釈明)

第一  公訴事実

本件公訴事実の要旨は、

被告人糸井一は京都府立高等学校教職員組合外一七の教職員組合をもつて組織する、連合体である京都教職員組合(以下京教組と略称する)の執行委員長、被告人松田克己は京教組副執行委員長、被告人杉本源一は京教組書記長、被告人渡部洋及び同中東こと野田幹夫は京教組書記次長、被告人山本正行及び同木下義次は京教組執行委員、被告人佐藤良輔は京都府立高等学校教職員組合書記長、被告人山本規は宇治久世教職員組合書記長、被告人今西新は船井郡教職員組合書記長、被告人森本博之は綾部市教職員組合書記長、被告人山本博史は福知山市天田地方教職員組合書記長、被告人坂田三雄は舞鶴市教職員組合書記長、被告人波多野隆は与謝地方教職員組合書記長、被告人岡下宗男は熊野郡教職員組合書記次長であるが、京都府下公立小、中、高等学校教職員に対する勤務評定等に反対し、これを阻止する目的をもつて、右京数組傘下組合員である教職員をして、年次有給休暇に名を藉り、校長らの承認なくして就業を放棄し、同盟罷業を行わせるため、乙訓郡教職員組合副委員長長谷川長三外京教組傘下教職員組合役員らと共謀の上、

(一)  前記京教組傘下教職員組合の役員たる被告人山本博史らにおいて、昭和三三年七月四日頃京都府内で開かれた京教組傘下各教職員組合の役員会において、それぞれ同組合所属各分会の役員らたる前記京都府下公立学校教職員に対し、組合員全員は休暇届を提出するのみで学校長の承認なくして、来る七月九日より一一日までの三日間にわたり五、三、二割の割合で就業を放棄して、勤務評定反対等のための集会等に参加すべき旨のいわゆる休暇斗争指令を通達するとともに、同分会役員らを介し、その頃京都府内において、右各分会員である右学校の教職員に対し右指令の趣旨を伝達し、

(二)  前記被告人山本博史らにおいて、同月八日頃京都府内において、右各組合の分会役員らたる右学校の教職員に対し、既定方針通り前記休暇斗争に突入すべき旨の指令を通達するとともに、同人らを介して、その頃京都府内において、右各分会員である右学校教職員に対し右指令の趣旨を伝達し、

もつて地方公務員たる前記教職員約一二、〇〇〇名に対し、同盟罷業の遂行をあおつたものである。

というにある。

第二  公訴事実に対する検察官の釈明検察官は、

(一)  共謀とは刑法六〇条の共謀をいうのであつて、地方公務員法三七条一項前段の共謀とは関係がない。

(二)  本件共謀は最終的には左の日時場所においてなされたものである。即ち、

1 昭和三三年七月二日京都市左京区川端丸太町上る教育会館において開催された京教組執行委員会。共謀者はこれに出席していた京教組執行委員会の構成メンバー(糸井、松田、杉本、渡部、野田、山本正行、木下の各被告人を含む。)

2 翌三日右同所において開催された京教組拡大斗争委員会。共謀者はこれに出席していた前記の者及び傘下各単位組合(但し綴喜教組を除く)の代表者各一名(佐藤、山本規、今西、森本、山本博史、坂田、波多野、岡下の各被告人を含む。)

(三)  本件「あおり」行為の著手及び既遂の時期は、昭和三三年七月四日頃から同月八日までの間である。

(四)  公訴事実(二)の訴因には被告人木下義次、同山本規、同山本博史、同森本博之、同波多野隆、同渡部洋の六名が関与している。

と釈明した。

(当裁判所の認定した事実)

第一  昭和三三年七月当時における京教組の組織及び運営と被告人らの地位<省略>

第二  京都府下教職員に対する勤務評定実施計画並びに京教組の反対斗争の経過<省略>

第三  本件公訴事実及びこれに関連するする事実<省略>

(無罪の理由)

第一  本件一斉休暇と争議行為

本件公訴事実等は前記認定の通りであるが、その事実の要旨は、被告人らが共謀の上、京教組傘下組合員である公立諸学校の教職員に対し、同盟罷業の遂行をあおつたというものであり、そのあおりの対象とされる行為は、地方公務員である教職員が、五、三、二の割合で三日間にわたり、共同して一斉に労働基準法三九条に基くものとしての休暇届を、その勤務する公立諸学校の校長に提出し、その職場を離脱して当日開催される勤評管理規則反対総決起大会に参集し、大会終了後、教育局交渉を行い、可能な限りデモ行進を行うというものであつて、組合の統制下に、集団的に休暇届を提出して就業しないいわゆる一斉休暇斗争の形態をとつているものであることが認められる。

そして、被告人らの右のようなあおりの行為が、地方公務員法六一条四号の「あおり」の罪を構成するかどうかを判断するには、その前提として、前記のような形態をもつ一斉休暇としてとられた労働基準法三九条による年次有給休暇請求権の行使が、地方公務員法三七条一項前段に規定する争議行為としての要件を具備することをもつて先決とされるので、果してそれが、右の要件を具備し争議行為として評価されるか否かについて検討する必要がある。

(一)一斉休暇は同盟罷業に該当するか

地方公務員である公立諸学校の教職員は、地方公務員法五八条により、労働基準法三九条の適用を受けて年次有給休暇が認められ、京都府においても、職員の給与等に関する条例(昭和三一年京都府条例二八号)により、一年につき二〇日以内の年次有給休暇を受けることができるものとされている。

ところで、年次有給休暇は、労働者に対し、その勤続年数に応じて年間一定日数の休暇を認め、その継続的勤務からくる精神的肉体的疲労を回復する機会を与えて、労働力の維持培養をはかり、人たるにふさわしい社会的、文化的生活を営むことを保障するために確立された制度である。しかして、年次有給休暇請求権の法的性格については、従来争いの存するところであるが、右のような制度の趣旨に鑑み、また、労働基準法三九条の規定の仕方、とくに、使用者は、請求された時季に有給休暇を与えることが、事業の正常な運営を妨げる場合においては、他の時季に休暇を与えることができるものとされていることなどに照して勘案すると、年次有給休暇請求権は形成権的性格を有し、労働者は、原則として随時必要に応じて休暇請求権を行使し得るものとし、その請求があつた場合には、使用者が相当の期間内に時季変更権を行使しない限り、あらためて使用者の給付行為を要しないで、労働者は、その指定した時季に就労から解放されるものと解するのが相当である。そして、その制度の目的からみて、労働者は、右休暇によつて得た余暇を、それが信義則違反、或いは権利の乱用にわたらない限り自由に利用し得べきものであり、使用者は、その利用目的の如何を理由に、休暇権の行使を拒否することはできないものというべきである。

そしてまた、年次有給休暇と争議行為とは、別個の法体系に属するものと解すべきであるから、労働者が年次有給休暇を請求した場合には、たとえ、その実体において争議行為を目的とするものであり、かつ、一斉に集団的に休暇を請求し、それを実施することが業務の正常な運営を阻害し、社会的事実として争議行為と評価されるような場合であるとしても、それが、労働基準法三九条に基く正当な権利行使としてなされるものである限り、これをもつて、直ちに、法的意味においても禁止された争議行為として評価するわけにはいかない。

これを地方公務員法三七条一項前段の場合に即していうならば、そこに禁止されている同盟罷業とは、その立法趣旨からみて、労働組合その他の労働者の団体が、自己の主張を貫徹することを目的として、その統制下に、集団的に労務の提供を拒否し、その結果、地方公共団体の業務の正常な運営を阻害する行為であるということができる。しかし、労働組合の行為で、社会的事実としては争議行為と目されるようなものであるとしても、その行為が、法律に照らし正当な権利行使として認められる場合には、これをも含めて同条項が禁止、制限の対象としているものと解すべきではない。したがつて、労働者が、組合の統制下に集団的に年次有給休暇を請求した場合には、まず、その年次有給休暇の請求が、労働基準法に照らし正当な権利行使であるか否かを審査すべきであつて、単に、その実体が争議行為であるということから、直ちに、右条項によつて禁止された同盟罷業であると断定することは許されないものということから、直ちに、右条項によつて禁止された同盟罷業であると断定することは許されないものといわなければならない。

もつとも、これに対し、労働基準法三九条の休暇が有給であることを理由に、休暇請求権を争議行為として利用することはできないとする反論が予想される。しかし、年次有給休暇に対して支払われる賃金は、日々の労働力の提供に対し、交換的関係において支払われる賃金とはその性質を異にし、休暇中の労働者の生存権保障のため支払われるものと認めるべきであるから、休暇が有給であることを事由とする右の見解には従い得ない。

そこで、前記のような観点から、本件の一斉休暇請求権の行使を検するに、その実態は、京教組傘下の全組合員が、五、三、二の割合で三日間にわたつて有給休暇を請求し、時季変更権者である教育委員会或いは学校長の態度如何、時季変更権の行使の有無にかかわらず、あくまで職場を離脱して抗議集会に参加せよというものであり、その休暇届は、その指定する休暇日の前日に提出するものとされ、本件のように、大量に休暇届を提出するについて、時季変更権者がその権利を行使するに充分な余裕を置くことにつき、何ら意を用いようとしなかつたことが認められる。故に本件の場合は、右の点において、法律上正当な年次有給休暇請求権の行使として評価し得る性質のものというべきでなく、かえつて、このことから、地方公務員法三七条一項前段に規定する同盟罷業としての該当性を免れることができないのである。

(二)一斉休暇は業務の正常な運営を阻害するか

学校教育法によれば、公立小、中、高等学校の業務は、児童、生徒に対し、初等、中等及び高等普通教育並びに専門教育を施すことを内容とするものであるから、平日においては、教職員によつて、児童、生徒に対し予定された計画通りの教育活動が行なわれるのが常態である。したがつて、多数の教職員が、平日に共同して職場を離脱し、児童、生徒に対する教育活動を平常通り行うことを不可能にし、もしくは極めて困難な状態に陥らせることは異常な事態というべく、かかる事態を発生させる場合には、その結果、年間の教育計画に影響を及ぼすと否とを問わず、これら学校の業務の正常な運営を阻害するものと解すべきである。

ところで、本件において、被告人らが京教組七、三拡斗委で決定し指令伝達した休暇斗争は、前記の通り公立諸学校の教職員が、五、三、二の割合で三日間にわたつて職場を離脱し、抗議集会に参加するなどの行動をするものであつて、その間授業計画を変更し、合併授業、自習等を行なわなければならないのであるから、児童、生徒に対し、平常通りの教育活動を行うことを不可能にし、もしくは困難な状態に陥らせることは明白であり、本件一斉休暇斗争が、府下公立小、中、高等学校等の業務の正常な運営を阻害するものであることは多言を要しないところである。

以上(一)、(二)において説示した通り、本件一斉休暇斗争は、一般的な意味における同盟罷業に該当し、かつ、公立諸学校の業務の正常な運営を阻害する行為と認められるから、地方公務員法三七条一項前段に規定する争議行為としての評価を免れることはできないものといわなければならない。

第二  被告人らの前示行為と地方公務員法六一条四号の同盟罷業の遂行を煽動する罪の成否

被告人らが「あおつた」ものとされる本件休暇斗争は、地方公務員法三七条一項前段の同盟罷業としての争議行為に該当することが明らかにされたので、次ぎに、被告人らの前示行為が、同法六一条四号の同盟罷業の遂行を「あおつた」ものとして同条の罪を構成するか否かについて検討する。

(一)煽動の罪と当裁判所の基本的態度

(1) 一般に「あおり」とは、いわゆる煽動と同義であつて、特定の行為を実行させる目的で、文書もしくは図画または言動によつて、他人に対し、その行為を実行する決意を生じさせ、または、既に生じている決意を助長させるような勢いのある刺戟を与えることをいうものと解される。(昭和三七年二月二一日最高裁判所大法廷判決参照)

即ち、煽動は、「そそのかし」(教唆)とともに、他人に対し犯罪的決意を生じさせる点において同一類型に属するものであるが、両者の異なるところは、教唆が特定の人を対象として、或る行為を実行する決意を新たに生じさせるに足る慫慂行為であるのに対し、煽動は、不特定または多数の人を対象とし、或る行為の実行の決意を創造させ、または、既存の決意を助長させるような刺戟を与える行為であるということにある。そして、ここに刺戟とは、単なる刺戟一般を意味するものではなく、前記のような決意を創造、助長させるに足るような勢いのある刺戟を指称し、主として被煽動者の感情にうつたえる方法によるものであることはいうまでもない。

(2) 地方公務員法六一条四号は、何人たるを問わず、同法三七条一項前段に規定する違法な行為の遂行を共謀し、そそのかし、もしくはあおり、またはこれらの行為を企てた者を処罰する旨規定しているので、右の「あおり」を、さきに述べた一般的な意義における煽動と同義に解し、直ちに、可罰的違法性ある行為として処罰されるものとすべきであるか否かを検討しなければならない。そのためには、同条が、労働者の争議行為に関与する行為に対して、刑罰を科する趣旨の規定であることを念頭におき、憲法が労働基本権を保障した意義を没却することのないよう、労働法規範の観点をも含めた全法秩序的視野の上に立つて、その検討を進めていく配慮が必要である。

そして、それには、まず労働基本権の保障を認めた憲法二八条の意義を解明しなければならないのであるが、同条の趣旨については、既に最高裁判所大法廷が、「この労働基本権の保障の狙いは、憲法二五条に定めるいわゆる生存権の保障を基本理念とし、勤労者に対して人間に値する生存を保障すべきものとする見地に立ち、一方で、憲法二七条の定めるところによつて、勤労の権利および勤労条件を保障するとともに、他方で、憲法二八条の定めるところによつて、経済上劣位に立つ勤労者に対して、実質的な自由と平等とを確保するための手段として、その団結権、団体交渉権、争議権等を保障しようとするものである」と判示(最高裁判所昭和四一年一〇月二六日大法廷判決)したところであり、当裁判所も、またそれと同一の見解に立脚するものである。そして更に、憲法二八条の趣旨を右のように理解するとき、労働基本権の制限は、「労働基本権を尊重確保する必要と国民生活全体の利益を維持増進する必要とを比較衡量して、両者が適正な均衡を保つことを目的として決定すべきであるが、労働基本権が勤労者の生存権に直結し、それを保障するための重要な手段である点を考慮すれば、その制限は、合理性の認められる必要最少限度のものにとどめなければならない。」ことは勿論、その制限違反に対する不利益も、また必要最少限度のものでなければならないし、とくに、それに対する刑事制裁は、「必要やむを得ない場合に限られるべきであり、同盟罷業、怠業のような単純な不作為を刑罰の対象とするについては、特別に慎重でなければならない。」(いずれも同上判決)ものであることもまた自ら明らかなところである。

したがつて、地方公務員法六一条四号の解釈にあたつては、右の憲法上の理念に基く適正かつ合理的なそれでなければならないし、同条の構成要件は右の憲法上の要請を満足させるものでなければならない。

(二)地方公務員法六一条四号の煽動罪における合理的理由の存否

(1) 地方公務員法を通観するに、同法六一条四号は、争議行為の遂行を煽動する行為を独立の罪として処罰しているが、その基本行為の実行者を処罰すべき旨の規定は存しない。そして、煽動行為の特質は、前記のように、特定行為の実行または実行の決意そのものではなく、そのような決意をするに至るような一定の働きかけを行うに過ぎないものであつて、実行の著手の段階からみると、遙かに遠い前段階的行為である。このような犯罪行為の決意にも至らない前段階的行為を、刑法上可罰的行為とすることは、犯罪的意思が外部的に実現され、客観的に認識可能の程度になつて、はじめて可罰的違法性の判断対象とすることが許容され、それ以前の行為は、人の内心的事項として可罰的違法性の判断対象としないものとされている刑法の基本原則からすれば、そのこと自体、既に極めて例外的事象に属するものといわなければならない。

もつとも、わが国の刑法典においても、内乱、外患、殺人、通貨偽造等について、犯罪行為の陰謀、予備など実行の著手以前の行為を可罰的違法性の判断対象とされているものがないわけではないが、それらは、いずれもかような例外的取り扱いを許容するに足る合理的な理由、即ち、本犯の犯罪行為自体の法益侵害性が、国家の存立、個人の最大価値ともいうべき生命の侵害などという、極めて高度のものであるという事由が存するからである。そして、右のように、陰謀、予備などが、法益侵害性の程度の高い犯罪類型において可罰的なものとして判断の対象とされている場合であつても、それは、決して基本行為から独立してのことではない。その可罰的な基本行為の実行の著手を条件として、はじめてそれらが可罰的違法性の判断対象とされ、その行為の段階に応じて、可罰的評価の程度を異にしているのである。即ち、これがわが国の刑罰体系上における基本原則なのである。この基本原則に対しては、例外として、破壊活動防止法三八条以下の規定その他二、三の法律において、基本行為の実行の有無を問わないで、その煽動の行為を独立の罪として処罰しているものをみうけることができる。しかし、これらの極めて例外的な場合においてさえ、それが容認されているのは、刑罰法規において可罰的とされている基本行為を前提とし、その行為を煽動する場合に属するものとされているのである。

ひるがえつて、地方公務員法六一条四号が処罰の対象としている煽動行為についてみるに、その基本行為は、地方公務員の同盟罷業、怠業その他の争議行為にほかならないのであるが、そのような勤労者の争議行為は、公務員のそれであると、私企業のそれであるとを問わず、それ自体、殺人、内乱などのように自然犯的な反社会性を帯びたものではないし、また、地方公務員の争議行為が、すべて重大な法益侵害を当然に伴うものでもないのであるから、その基本行為である争議行為それ自体からは、その遂行を煽動した行為が、直ちに、独立して処罰の対象となり得べき合理的理由を抽出肯認することはできない。

その上、地方公務員法では、前記のように、同法三七条一項によつて禁止されている争議行為の実行者に対して刑事罰を科すべき規定は存しない。即ち、地方公務員法においては、争議行為を実行した者は処罰されないが、その不可罰的とされている実行行為を共謀し、そそのかし、あおり、またはこれらの行為を企てた者という実行行為よりも遙か以前の行為そのものを独立に処罰の対象としているのである。そのため、争議行為の遂行を煽動し、かつ、これが実行行為に参加した者は、争議行為を行つたという理由によつては処罰されないで、それ以前の、その遂行を煽動したという、一般的には実行行為よりも違法性の弱いものと認められる行為のみによつて処罰されるという奇妙な現象を呈するに至るのである。

しかも、その基本行為である争議行為を不可罰とされたのは、後に詳述するように、労働基本権の保障を認めた憲法上の理念に基くものであつて、単なる刑事政策上の見地からとられたものではない。このことは、公務員一般の争議行為に関する制裁規定の立法上の沿革に徴して明らかなところである。

かようにして、煽動を独立の罪として認めたことは、既に検討したように、わが国刑罰体系の上からみて極めて異例のことに属するのであるから、このように、基本原則から離れること程遠い例外的事象については、それなりに、これを認容するに足る高度の合理的理由の存在することを要するものと解さなければならない。このことは前記の憲法上の要請に照してみても、当然のこととして疑いを入れないところである。しかるに、右のように不可罰とされている基本行為とは無関係に、その遂行を煽動する行為に可罰的違法性を認め、これを処罰の対象とすることは、その合理的理由をみいだすのに甚だ苦しまざるを得ないのである。

この点について、地方公務員法六一条四号に規定する「あおり」等は、実行行為の前段階的行為ではあるが、争議行為の原動力となるもので、実行行為より反社会性が遙かに大きい、との見解がある。しかし、あおり等が、直ちにその実行行為より反社会性が大きいと認められないことは後述の通りであり、争議行為の原動力というようなものを敢て捉えるとすれば、それは団体の構成員の団結意思、連帯感にほかならないものというべきであつて、右の見解に左袒するわけにはいかない。

(2) なお、さきに一言ふれたように、煽動の基本行為である争議行為の実行者が、刑法上処罰されないことの理由について言及すれば、それは単的にいつて、そのような者を処罰することは憲法一八条に違反し、引いては同法二八条の規定の趣旨にも反するからである。

即ち、憲法一八条は、何人も、「いかなる奴隷的拘束も受けない。又犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない」として、奴隷的拘束及び苦役からの自由を保障している。そこにいう意に反する苦役とは、高度の苦痛を伴う労役のみを指すものではなく、本人の意に反して強制される肉体的労役を含むものと解せられ、通常の労役であつても、本人の意思に反して強制されている以上、「意に反する苦役」にあたるのであるから、労働者が、単に労働契約に違反して就労しなかつたという理由だけで刑罰を科することは、不就労の事実が、個々的になされたると、はたまた労働組合の統制下に集団的になされたるとを問わず、結局刑罰の威嚇によつて、人の意に反する苦役に服させることとなるのである。そしてまた、労働基本権の確立が、まず労働運動の刑罰からの解放にはじまつたという歴史的経過に照らしても、労働契約に違反して就労しない者を、それだけの理由によつて処罰することは、憲法二八条において労働基本権を保障した趣旨に違反し許されないものというべきである。かようにして、争議行為の実行者を処罰しないことは、まさに前記のような憲法上の理念に基くものであつて、単なる刑事政策上の理由によるものでないことを体得することができるのである。

因みに、争議行為の実行行為不処罰の理由が右のようなものであるとすると、現実の労働争議において、争議行為の実行行為と同視し得べき行為を行つたに過ぎない場合には、処罰の対象とすることができないものと解すべきは、均衡の原則からみて当然の理といわなければならない。

(三)争議行為と地方公務員法六一条四号の煽動罪の成否

(1) 前記の通り、地方公務員法六一条四号の煽動罪の成立には、これを肯認するに足る合理的理由がなければならないことが明らかにされた。そこで、まず労働組合の争議行為の実態に照らして、争議行為に関する諸行為と煽動との関係がここに吟味されなければならない。

おもうに、労働組合の争議行為は、単に個人の職務放棄等の行為の集合に止まる性質のものではなく、その団体の統制のもとに、労働者の労働条件の維持改善、労働者の経済的、社会的地位の向上といつた一定の団結目的に向けられてなされる組織的、集団的行為であつて、使用者との対抗関係を前提としているのであるから、当然に構成員の団結、連帯を基礎としてのみ成立するものである。ということは、労働組合の行為において、最も重要なのは団結意思の形成ということであり、その団結意思を組織体として統一的に実現するということである。したがつて、組合内部において、その目的とする争議行為につき企画、立案がなされ、自由に意見を開陳して批判、討議をし、それに基いて議決をし、指令を発し、その指令または決議事項を伝達し、その趣旨を説明し説得するなどの諸行為がなされることは、いうまでもなく当然に予測されるところであるが、そのような行為は、右の労働者団結としての労働組合の特質からいつて、争議行為の目的完遂のためには、必要にして不可欠の行為か、もしくは争議行為に通常随伴する行為であるといわなければならない。そしてまた、右の行為のうち、本件において問題とされている指令の発出と伝達、決議事項の伝達などの行為は一般に、主として組合幹部によつてなされることが多いであろうが、それは前記のように、多くの組織上の義務に基いてなされるものであつて、いわばそれらの者の、争議行為に参加すべき一態様にしか過ぎないものとも称し得べく、それ自体を、争議行為の実行行為等に比肩してこれと別異に評価すべき理由は認められないのである。

ところで、前記のように、争議行為について、組合内部で討議、批判に関与し、また指令の発出、伝達、決議事項の伝達、趣旨の説明、説得等をするなどの、争議行為参加の各態様とみられ得るような諸行為は、多くの場合、前記の一般的な意義における煽動の概念を充足するものと解せられるであろう。しかも、これらの行為は、その争議行為に必要不可欠の行為か、もしくは通常これに随伴する行為の類であつて、一般的にみて、争議行為の実行行為と実質的に異なるところはなく、これと比較して、それ自体格別違法性の強い可罰的行為と断定すべき合理的理由は存しない。にもかかわらず、これらの行為が右の煽動概念を充足するとの一事をもつて、直ちに可罰的であるとの理解のもとに、これを処罰の対象とし、争議行為の実行行為と特立して別異に扱うことは、前記均衡の原則にもとるばかりでなく、労働争議行為の本質的な性格とその実情とからみて、結局は、争議行為に参加する行為一般を処罰することと等しくなり、引いては、争議行為自体を、刑罰をもつて禁遏することに帰着するおそれを生じ、前記のように、労働基本権の保障を認めた憲法上の理念に照して、とうてい是認し得ないところである。

(2) もとより、争議行為の遂行を煽動する行為が、その基本である争議行為より、一段と強度の違法性を帯び、可罰的とされるもののあることを否定の去るわけにはいかない。しかし、少くとも争議行為の目的完遂のために、必要不可欠か、もしくは争議行為に通常随伴する行為であつて、その手段、方法等において、正当性の限界を超えないものと認められるものは、地方公務員法六一条四号に規定する煽動の概念から除外して考察するものと解すべきである。

それでは、右のような意義における、同条の煽動に該当する行為として可罰的とされるものは、一体どのような類型に属するであろうか。これを特別構成要件的観点から解して、敢てその積極的な範囲を画するならば、一般的な意義における煽動行為に該当するもののうち、その行為の性質、手段、態様等に照して強度の違法性を帯びると認められるもの、例えば、争議行為の主体となる団体に直接関係のない第三者であつて、その遂行を煽動した者、右のような団体の構成員であつて、その団体行動と全く無関係立の場においてその遂行を煽動した者、或いは右のような団体の構成員であつて、その手段が争議行為に際して通常行なわれる方法を逸脱し、とくに激越な方法で煽動し、または故意に誤つた情報を提供するなどの偽計を用いて煽動した者等を挙ずることができる。(昭和三七年四月一八日東京地方裁判所判決下刑集四巻三、四号三〇三頁、昭和三八年四月一九日同裁判所判決下刑集五巻三、四号三六三頁、昭和四一年三月二九日仙台高等裁判所判決下刑集八巻三号三八八頁参照)けだし、これらの場合は、第三者が不必要な容喙行為に出て、故意に直接利害の伴わない労働関係を乱した点において、または、これと同視し得る立場で紊乱行為に及んだ点において、或いは、通常随伴して行われる以上に激越、または偽計等の方法を用いた点において、いずれも反社会的性格を帯び、一般の煽動行為に比して一段と違法性が強く、処罰対象の評価に値すべき合理的理由が優に認められるからである。

しかして、さきに引用した最高裁判所大法廷判決(昭和四一年一〇月二六日言渡)が、地方公務員法六一条四号に言及し、同条による「刑事上の制裁は、積極的に争議行為を指導した者だけに科せられ」ると説示したのも、そのよつて立つ基本原則等に照らして考察すれば、右と同趣旨の見解を示したにほかならないものと思科する。

(四)被告人らの判示行為と地方公務員法六一条四号の煽動罪の該当性

(1) 被告人らは、前記認定の通り、京教組またはその傘下組合の構成員であつて、それぞれその役職員に就いていたものである。

ところで、地方公務員法六一条四号は「何人たるを問わず」と規定している。その行為の主体には、当該組合の構成員(役職員であると否とを問わず)は包含されないとすることが論理の帰結として至当である、という趣旨の見解を唱える者があるけれども、かような限定解釈をとることは、同条の何人たるを問わずという概念規定の文理上容認し得ない無理があるものというべく、したがつて、被告人らもまた本件におけるその行為主体に包含されるものと解すべきである。

(2) そこで前掲の本件公訴事実(一)及び(二)に各対応するものとして、「当裁判所の認定した事実」第三において説示したような被告人らの一連の行為が、さきに明らかにされた地方公務員法六一条四号にいわゆる争議行為の遂行を煽動した行為に該当するか否かを検討する。

まず公訴事実(一)についてみるに、その唯一のいわゆる指令と認められる休暇斗争指令(指令第一号)は、昭和三三年七月三日の京教組拡大斗争委員会の決定に基き、その決議事項を執行すべく執行機関としての職責上、京教組執行委員長糸井一名義で発せられたものであり、また、その基礎となつた京教組七、三拡斗決定事項は、京教組の正式の機関により、その権限内において決定されたものである。そして、右の休暇斗争指令の通達や、七、三拡斗決定事項の伝達などは、組合執行部、或いは会議に出席した組合役員らの義務的行為としてなされたものといい得る上に、争議行為に際して右のような行為をすることは、集団として統一的に行動するためには必要不可欠か、もしくは通常随伴するものということができる。また、右指令などの内容においても、一般に労働組合の争議行為において出される斗争指令と比較して、とくに激越な意味を含んでいるとは認められない。

次ぎに公訴事実(二)についてみるに、同年七月八日朝、京教組が、傘下各組合に対し電報を発してなされた休暇斗争突入指令は、同日早朝府教委との交渉が決裂して後、既定方針どおり休暇斗争に突入することが京教組執行部において確認されてから発出された「既定方針通り実力行使に入れ」という趣旨のものである。そして、それが争議行為に際し、事態を明確にさせる意味において、たとえその以前に、「中止指令のない限り自動的に争議行為に入ることが決定されていた」場合であつても、執行部において、交渉の経過を明らかにした上、あらためてその直前に、休暇斗争に突入すべき旨を指令し伝達することは、集団として統一行動としての争議行為を行う場合には、必要不可欠か、もしくは通常随伴する行為であり、ときには義務的行為であるともいうことができる。そして、その内容においても、前同様とくに激越な意味を含んでいることは認められない。

しかして、公訴事実(一)(二)の指令の発出、伝達などは右のような次第であり、かつ、これらの手段は、争議行為に際してとられたものとしては、相当の範囲内に属するものといい得るから、とくに強度の違法性を帯び、これに刑罰を科すべき合理的理由の存する行為と認めることはできない。

されば、被告人らの前記各行為は、いずれも地方公務員法六一条四号に規定する争議行為の遂行を「あおる」行為に該当しないものといわなければならない。

第三  結び

以上説述した通りであつて、被告人らの本件各行為は、その余の憲法適否等の主張について判断するまでもなく、結局罪とならないことが明らかであるから、刑事訴訟法三三六条前段により、被告人らに対していずれも無罪の言渡をする。

よつて主文の通り判決した次第である。(橋本盛三郎 阿蘇成人 長浜忠次)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例